僕が起業(スタートアップ企業経験)を経て得たもの、失ったもの

少しだけタイトルは大げさなのですが、厳密には自分は「起業した」人間ではなく、「起業に乗っかった」人間です。

とはいえ、起業後すぐにジョインしたので(3人目のメンバー)、ほぼほぼ起業と同じような経験を得ることが出来ました。

今回はその経験を元に得たもの、逆に失ったものを紹介したいと思います。

なにをしていたのか

事業内容としては「インドネシア向けECモール運営」を掲げていました。別に隠す必要もないので「株式会社Everentia」と調べれば出てくると思います。

僕が入った際はまだサイトも出来上がっておらず、何から何まで無かった状態でした。実際にサービスローンチできたのは2015年2月。

2015年3月末に僕はその会社を抜けたので、殆どそのサービスを育てることができませんでした。

では実際にどのような業務をしていたのか。僕には「マーケティングスペシャリスト」という、今となっては恥ずかしい肩書がついていましたが、やっていたことは多岐にわたります。

テレアポ & 提案

Amazonや楽天のようなECモールを目指すためには多くの出品者が必要です。

僕は「マーケティングスペシャリスト」でしたが、それと同時に総社員数3人のうちの1人でもありました。当然営業活動もしなくてはなりません。

テレアポをして、実際に訪問して、資料を元に出品の提案を行いました。

アポ取得率は思いの外高く、20%~30%いってたと思います!みんな「インドネシア」と聞くと、少しだけ興味を持ってくれました。

またタイミング的にも、中華系ECモールに出品して失敗する企業が多く、他の国での再トライに燃える担当者が多かった、という背景もあったと思います。

提案は特に辛かったことを覚えています。インドネシアの良さを伝えてから、自分たちのサービスを伝える形で提案するケースが多かったと思います。

そうすると大体「インドネシアってどういうものが流行ってるんですか?」「若者のトレンドってどんな感じなんですか?」「流行っている雑誌とかあるんですかね。」などなど、結構具体的な質問をされました。そして気づきました。

((あ、なんかインドネシアのサービスやろうとしているのに、自分全然インドネシアのこと知らないな))

そして僕はインドネシアに行くことを決意しました。

インドネシアでの現地調査

インドネシアでは直接現地法人を作ることはできません。(当時は。今は知らないけど)

そのためノミニーという制度を駆使し、現地に協力会社を作りました。

インドネシア渡航後はその会社で作業しつつ、日本法人の現地支社などを訪れ情報交換をしていました。

またお金をかけて取ったアンケート調査の資料や、何度か訪れている社長の話でしかインドネシアを知らなかったので、より生の声を聞くべく、ジャカルタの南部にあるインドネシア大学の前でiPadを持って、大学生に直接アンケートを取るなどしました。

そしてインドネシアのことを知れば知るほど、((このビジネス大丈夫かな))と思うようになってきました。

ちなみに何語でコミュニケーションを取っていたかというと、殆ど英語です。インドネシア人の50%以上は英語を喋ることができます。

僕はパッション8割・文法2割な英語で会話をしていました。

また日本語が喋れるインドネシア人スタッフも雇ったので、伝わらない場合はその人に通訳をお願いしていました。

日本語が喋れるインドネシア人スタッフは、インドネシア人の平均的な給与より1.5倍くらいの給与でしたが、日本人スタッフを雇うより全然安上がりなのです。

ファンページ・オウンドメディア運営

サイトローンチ前の仕掛けとして、オウンドメディアの作成と集客を行っていました。元々はFacebookが盛んなインドネシアだったので、Tokyo Otaku Modeに倣ってFacebookページを活性化し、そこからECサイトに誘導する予定でした。

しかしFacebookのファンは集まれど、Facebookの投稿に対してエンゲージメントしてくれる人は数少なく、集客の大変さをここで学びました。

そのため、Facebook以外の集客としてオウンドメディアの作成や、Facebookページのスピンアウトなどをして入り口を増やすということをしました。

オウンドメディアについては、どうやったらインドネシア人は喜んでくれるのかを常に考え、極寒の中、山梨の富士五湖の一つである本栖湖で撮影をしたり、有明で開催されるコミックマーケットに取材に行き、コスプレイヤーの写真を撮影したりなどしていました。

そういったイベントは土日に開催されるので、「休みの日に何やっているんだろう」と日々思っていました。

誘導経路・サイト導線の設計

やっと本職っぽい感じの仕事が出てきましたね。

でもマーケティングって正直、漠然とした言葉ですよね。

マーケティング(英: marketing)とは、企業などの組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする」ための概念である。また顧客のニーズを解明し、顧客価値を生み出すための経営哲学、戦略、仕組み、プロセスを指す。

wikipedia

そう、一番最初に記載した営業活動にあたる「テレアポ & 提案」以外は、全てマーケティング活動なのです。

ここでの業務は、収益化するためのKPI設計と各チャネルごとの施策立案・実行、と考えてください。

これが世間一般のマーケティング責任者的な立ち位置な気がしています。

ただ世間一般のマーケティング責任者との違いは圧倒的なスピード感を持つことができます。

「これ、絶対やったほうがいいからやろう!」と思い立てばその晩会社に泊まってやる、そんな感じの生活でした。

その他

書きながら途中で思ったんですけど、正直この時期に自分が何やっていたかなんて書ききれないですね。

遠隔でインドネシア法人に指示を出すこともあれば、サイト開発に茶々入れすることもありました。

ある時は馬喰横山に行って和雑貨の仕入れをすべきか検討し、ある時は別のマネタイズポイントを見つけ資料化・実際の提案をしたり、

ある時は新しいビジネスモデルを構築しようとしたり、ある時は人員採用のための事業計画修正などもおこなっていました。

多分すべての企業活動の中で、自分が触れなかったのは法務くらいで、殆どの企業活動における諸業務に触れてきたと思っています。

そんな経験の中で得たもの

謎の自信と、鋼のメンタル

社会人1年目をそんな環境で過ごし、社会人2年目で2019年3月時点での現職、渋谷の某インターネット関連企業の広告セグメントに位置する代理店に入社しました。

グループ全体としては所謂大企業に属するので、すごい人がたくさんいるんだろうなぁと思っていましたが、入社2週間くらいで「自分、全然戦える」と思いました。

戦えるどころか、活躍できる!と確信していましたね。しかし当時の自分には足りないものも沢山ありました。。。

なので社内での出世は少し手間取ってしまいましたが、社内アワードを(たぶん)最多受賞することができています。

また結構泥水をすすってきたと思うので、嫌な出来事が起こっても、((当時の方が辛かったなぁ))と思うと気が楽になります。

先見性

ここでいう先見性は、新しいビジネスチャンスやテクノロジーの変化における先見性ではなく、この仕事、このプロジェクトの行く末に対する先見性です。

関連メンバーの進め方、KPIの立て方、温度感、空気感から、成功させるためには何が足りなくて、どうしていかなければならないか、ということが分かるようになりました。

恐らく社会人3年目~5年目でつくようなこのスキルを、社会人1年目で会得したのは大きくプラスだったと思います。

ロジカルシンキング

これは現職でのバディの方による教育の影響も大きくあると思いますが、基礎ができたのはこの経験からです。

上級Web解析士に関する記事の中で「ロジックツリーを学んだ」と綴っておりますが、当時の自分としては数少ない武器の一つであったため徹底的にロジックツリーを使い倒したことを覚えています。

更に現職に至ってからも、そのバディの方のおかげでロジックツリーのクセ化が進み、今の仕事の質を高めていると感じています。

「とりあえずやってみよう」と多くの失敗経験

一番今の会社に入ってもどかしいと感じたのは、実行するためには許可がいるということでした。

絶対これやったほうが良い!なぜすぐやらないのか!と日々思っていました。

今となっては、なぜ許可が必要だったのか分かります。

インドネシアでよく分からないことをしていた社会人2年目のペーペーに、いきなり実行させる許可を出すわけがありませんでした。

「とりあえずやってみよう」をするためには昇進・昇格、周りに認められる必要があるのです。

今となっては「とりあえずやってみよう」ができる環境になりましたが、「とりあえずやってみよう」の良さが分からない人は、きっと一生上司に許可を取り続けるのでしょう。

「とりあえずやってみよう」の何が良いかというと、成功か失敗かが瞬時に分かるということ。

成功経験となれば同じようなやり方で進めていけばいいし、失敗経験となればやり方を改めればいい。

多くの失敗経験を積み重ねていけば、「あ、これは失敗する」「このやり方なら成功する」と分かるようになっていきます。上述の”先見性”につながる部分ですね。

そのための「とりあえずやってみよう」精神は、得たものとして非常に大きいものでしょう。

逆に失ったもの

新卒同士というつながり

今の、所謂大企業の中で感じることは((新卒同士のつながり、良いなぁ))と思います。

そういう意味では苦楽をともにしたという観点でも、当時一緒に会社を運営していたメンバーはそれに近いと思います。

けど、なーんか新卒同士のようなつながりとは少し違うんです。なーんか。

よくわからないけど、なーんか違うんですよねぇ。青春な、あの感じが僕にはありません。

社会人としての礼儀・マナー

今となってはだいぶ取り戻したと思いますし、よく礼儀やマナーが分からないまま営業活動していたな、、とも思いますが、やはり当時の自分は礼儀・マナーに欠ける行動が多かったと思います。

ビジネスマナーなんて必要ない!服装だってだらしなくてOK!だってスタートアップだもん!みたいな謎の傲慢さが、当時の自分にはあったと思います。

もちろん名刺の渡し方や上座・下座みたいな最低限のことは知っていましたが、それ以上のことはできませんでした。

今でもそういうビジネスマナー的なことは必要以上にあるべきではないと思いますが、TPOに合わせて行動しないといけないのも社会人の使命であります。

今ではある程度は気の利いたことができるようになったなと思いますが、すごい人に比べるとまだまだだなとも思います。

失わなかったもの

「起業=借金」という印象を持つかも知れませんが、自分自身は全く借金は負っていません。

全て起業をした社長の資本金内でやりくりをしていました。

「それじゃあ起業と言わないじゃないか!」と思うかも知れませんが、冒頭の通り僕は「起業に乗っかった」人です。

自分は資本金を入れていないので、外部から見ると一蓮托生ではないように見えますが、少なくとも当時の自分は一蓮托生の気持ちでやっていました。

そのため僕自身「お金」は失っていない状態で、様々な経験をさせてもらいました。

今でも社長とは親交があり(ロマンテックジャパンの社長)、こんな自分を招いてくれて、且つ様々な経験をさせてもらったことに感謝しています。

最後に

起業しようとしている人、起業に乗っかろうとうしている人、社会人としてどういうキャリアを積むべきか悩んでいる人たちに、この記事が参考になれば幸いです。

自分としては社会人としての経験が浅いうちに、ダメージを負っておいた方が良いとは思います!

今の歳では、ちょっとインドネシアは過激すぎると感じます。。。

あとは経歴としてすごい面白がられるので、そういう意味でも個人的には選んで良かった道だとも思っています。