こちらの記事で、自己分析したよーと書きました。
今回はその自己分析について書きたいと思います。
セルフコーチング
はじめに
冒頭からいきなり何だその言葉!という感じなのですが、これは今書きながら思いついた言葉です。
と、思いながらググってみたら既に使われていた言葉だった!!!
なんなら本まである。
ここで前置きしておきたいのは、自分はこの本を読んだわけではないので、この本に書かれているセルフコーチングと自分が今から書くセルフコーチングは別物だということ。
コーチングとは
自分が思うセルフコーチングの前に、コーチングについて話したいと思います。
と思い、再びググってみたものの、なんだかしっくりする解説がありませんでした。
とりあえずWikipediaを引用してみます。
コーチングは、カウンセリングの質問技法の中の未来質問や具体化質問など、狭い領域に絞り込んだ目的思考の質問をビジネスライクに行うことに特徴がある。
wikipedia –コーチング
うん。なんだか、これが一番しっくりきました。
個人的に一番の類語は「カウンセリング」だと思っています。
カウンセリングは悩みや問題に対して、専門的な知識を用いて相談に乗ることだと思いますが、コーチングの場合、もちろん専門的な知識もあれば尚良しですが、個人の経験に基づいて答えを導くようなイメージがあります。
まぁそんな風に考えているんだなと思って、この記事を読んでみてください。
で、何をセルフでやったのか
実際に、前職の上司に軽いコーチングを受けたことがありました。
それは具体的な将来設計、ビジネスマンとしてのビジョンなどではなく、「一個人」として何が幸せか、というものでした。
うーん何だろう、と考えてみたんですが、いまいち自分の幸せって何なんだろうと思いました。
お金を稼ぐこと?稼いだお金を何に使う?高い車買うことが幸せなのかな?
そんな風に考えてみたら、案外自分がどうなったら幸せになるのか、あまり理解していないことに気づきました。
限られた時間の中でその質問をされ、かつその上司もお試しで聞いてみたようだったので、結局自分の幸せとはなんぞや、という問いに対して、その場では結論を出すことはできませんでした。
そこで自分は転職前に「自己分析」と称して、セルフコーチングを実践してみたのです。
自分の幸せとは
とりあえず楽しかった出来事を並べてみる
まずは自分の幸せとは何なのか、を探求してみました。
美味しいものを食べているとき?でも別に今の状態でも無理をすれば、ある程度美味しいものは食べ続けられる。
ではなぜ毎日食べないのか?たまに食べた方が幸福度が上がる?
などと、どんどん哲学的になっていき、どんどん泥沼化していきました。
わけが分からなかくなったので、自分が楽しい・嬉しい・幸せだと感じる時を羅列してみました。
・みんなでボルダリングしているとき
・みんなでお酒を飲みに行っているとき
・キャンプしているとき
・知的好奇心が満たされたとき
・面白い映画をみたとき
などが挙がりました。
そして、その一つ一つの瞬間の理由を解き明かしていきました。
なぜボルダリング行った時は楽しいのか?新しい課題が登れたら嬉しい。達成感を感じる。
なぜお酒を飲んでいると楽しいのか?気分の高揚。近況報告が楽しい。
などなど。
とりあえず無邪気に、素直な気持ちで、小学生の読書感想文ばりの文章で書き綴ってみました。
色々と書いているうちに、ある共通点が浮かび上がってきました。
答えは思いのほか簡単で、それは「人間同士の情報共有」でした。
「情報を共有することで、自分を認めてもらう」なんていう、いわゆる承認欲求は、何十年も前から心理学的に研究されていること(=観測されていること)です。
つまり何が言いたいかというと、多くの人がSNSを使って情報を共有しているように、自分もその一人にすぎなかったのです。
なあんだ、と少し拍子抜けしながら、自分は特別な人間ではないということを改めて確認することができました。
今度は今までで継続できたことを並べてみる
自分は普通の感性を持っている人間だと認識した上で、じゃあ自分はどんなことなら継続してできるのかと考えました。
楽しかったこと同様、とりあえず羅列して、一つ一つ問うということを行いました。
・高校受験の勉強
・ギター
・最近だとボルダリング
多趣味で飽き性な自分は、思いのほか継続できているものがありませんでした。
数少ない継続できているものを紐解くと、これまた答えは簡単で「誰かと一緒に切磋琢磨している」ということでした。
そうか、自分は一人で何かをするということができないんだと思いました。
この瞬間、なんとなく今まで思っていた「起業したいな~」という気持ちが吹っ飛びました。
「そうか、自分は起業できないんだ」
まとめると、自分の幸せのプロセスはこうです。
1. 誰かと一緒に切磋琢磨する
2. 人間的能力が成長する(肉体的・知性的・芸術的に)
3. そこで生まれた成果を誰かにアウトプットする
実に短絡的な人間だと思いました。
The 平凡 なワタシ。
さらに要約すれば、自分の「承認欲求」は人間的な要素であれば何でもよかったのです。
もちろんその承認欲求は人それぞれで、例えば「オシャレ」といわれることに承認欲求を抱いていたり、お金を稼ぐことに承認欲求を抱いていたりすると思います。
自分の場合はそれが何でもよくて、とにかく全体的に平均点より上でありたいと思っていたことが改めて分かりました。だから多趣味になるんですね。
そしてそれを頭の中では感じつつも、それを認めていない自分がどこかにいたんだと思います。
実際ノートに書き起こしてみたら、「やっぱりそうか!」という感じでした。
話は逸れますが、自分は美味しいものを食べているとき幸せを感じますが、食事はその時の気分によって変わるため、人に比べて食事に対する優先順位は低いものだと思っています。美味しいもの食べても他人と共有しないし。
問題は最初のプロセス
ここで問題なのは、一番最初のプロセス「誰かと一緒に切磋琢磨する」ということでした。
これが始まらなければ、自分は楽しさ・嬉しさ・幸せを感じることができません。
前職の入社当時、同期に恵まれ、先輩にも恵まれた自分は、かなり幸福だったと覚えています。ちょっと辛いこともあったけど。
しかし自分の役職が上がるにつれてメンバーをマネジメントする立場となり、後輩からの刺激もなく毎日を過ごしていた自分は、どんどん切磋琢磨できなくなり、幸せを感じることができなくなっていったのだと思います。
このことが分かったときに、自分は「どうにかして、誰かと成長する環境を作らねば!」と思いました。
取ろうとしたアクション
戦うフィールドを社内から市場へ
まず、自分はその時にマネージャーからプレイヤーに戻ろうとしました。※役職ではなく職種です。
当時、5名のメンバーを見ていた自分ですが、正直自分も成長したいのに、人の成長なんて考えている暇ありませんでした。
結果的にプレイヤーに戻りたいという前に転職が決まってしまったので、完全なるプレイヤーに戻ることはありませんでした。(最終出社月だけ便宜上プレイヤーになりましたが。)
その時の思考としては、プレイヤーとして最前線を走り、一緒に切磋琢磨する相手は社内の人間ではなく、社外の人間だ!という意気込みでした。
もちろんマネージャーへの道としての切磋琢磨も選択肢としては存在したのですが、そのマネージメントスキルを培う土壌は前の会社にはありませんでした。(これは悪口かな・・・?)
誤解を招かないように説明すると、企業の歴史としてまだ浅いから「なかった」だけで「これから作ろうとしている」ことは確かです。
そして何故転職を考えていなかったのかというと、転職したところでその会社の「凄い人」は一定割合しかいなくて、同じように自分の役職が上がっていくにつれ成長を感じれなくなると思っていたからです。
だから転職ではなく、戦うフィールドを社内から市場に移そうと思いました。
このブログをはじめようと思ったのも、その頃からです。(開設に時間かかりましたが。)
そして転職へ
前回の記事にも書いたように、面接を受けることは自分の力試しのためでした。
市場における自分の立ち位置はどこにあるのか、戦っていくべき(一緒に切磋琢磨する)相手はどこにいるのかを知りたかっただけなのです。
で、いざ面接を受けてみたときに「うわあこの会社に入れば、一緒に成長できる仲間がたくさんいる。自分よりすごい人がたくさんいる。」と思ったのです。
転職しても凄い人は一定という価値観が、そこの場で崩れ去りました。
だから入りたいと思いました。
そんな僕はいま幸せだと思います。こうして、情報を共有することで「承認欲求」を満たすことができているので。
まとめ
という感じで、ただ自分が転職前に思ったことを書き並べただけですが、
最終的に何が言いたかったをまとめてみます。
- 自己分析は、自分の成功体験や失敗体験を振り返るのではなく、自分の人生で何が幸福なのかを振り返りましょう。
- それは企業面接のために行うものではなく、自分のために行うものなので、素直な気持ちで振り返りましょう。
- それは頭に思い浮かべるのではなく、実際に紙に書いてみましょう。
- その事実を冷静に分析し、次に自分が何をすべきか考えてみましょう。その方法は自分の幸せに対して、最善解でしょうか。
なんかずいぶん、上から目線な記事になってしまいましたが、同じような悩みを抱えている人がいれば参考にしてみてください!