大炎上中のDaiGoさん
事件の概要
Youtubeやニコ生(今もやってるのかな?)、自身のプロデュースしているアプリ『Dラボ』や『with』など幅広く活躍しているメンタリストのDaiGoさんが8月7日に差別的発言をしたことによって大炎上しました。
その後「謝罪をしない」という旨の発言をしたのち、謝罪をする方向に切り替え、更にはその謝罪を撤回して再謝罪をしたにも関わらず、炎上が収まらないという事態に至っています。
一連の流れをなんとなくTwitterで追っていた私ですが、なんとなく釈然としない部分が多いので、今回は自分の頭の整理のために文字に書き起こしてみようと思いました。
私とDaiGo
私は2017年~2019年くらいまでDaiGoのニコ生やYoutubeチャンネルをよく見ていました。
シンプルに彼の情報が役に立つし、本を読まずとも短時間で人の知識を吸収するには非常に効率的だったからです。
しかし2019年半ばくらいから、なんとなく銭ゲバな感じや人を見下している感じが嫌いになってきて、ニコニコの有料会員も解除し、それ以来たまーにYoutubeチャンネルを見る程度でした。
今回の問題とは別の話ですが、『嫌なら見なければよい』というのが私個人の価値観です。
本炎上の問題点
差別的発言ってなに?
今回、DaiGoが炎上するキッカケとなった発言を端的に言えば「価値を生み出せない人間は不必要」だと思います。
もっと分かりやすく言えば「ホームレスは死ねばいい」ですかね。
これが差別的発言・ヘイトスピーチ・優生思想だ!だとネット中で叩かれまくっているわけです。
正直私はこの発言自体の何が問題なのか分かりません。
だって小学生~遅いと大学生まで、特に男子は人に「死ね」って平気でいうわけじゃないですか。Youtuberとかでも言う人いますし。
気に入らない人や事象に対して「死ね」というのは割と一般的で、英語でいうFuckみたいなものだと思うんですよね。
同じく五輪組織委員会の元会長である森さんは、差別的発言がきっかけで辞任することになりました。
確か「女性がたくさんいると会議に時間がかかる」的な発言だったと思います。
でも差別的発言なんて日常的に行われていて、例えば泣いている男の子に対して「ほら、男の子なんだから泣かないの」というのは捉えようによっては差別的発言になります。
なので、そのような発言をされた時に大事なのは、それを言われた受け取り手の感情だと思います。
差別の問題ではありませんが、私は友人に「気持ち悪い」と言われてもあまり傷つかないタイプですが、人によっては傷ついてしまいます。
また最近『ダブル』という言葉を知りました。最近は別人種同士の子供のことを『ハーフ』と呼ばず『ダブル』と呼ぶほうが適切?らしいです。
でも人によっては『ダブルよりもハーフの方がしっくりくる』などの意見もあって、『ハーフ』or『ダブル』論争は、そうではない人たちが勝手に行っているように感じました。
問題は影響力
ただ上述の例であれば、もし妻が「ほら、男の子だから泣かないの」と発言したら、夫が「それは差別的だからやめな」と注意すればよいだけです。その後、それが差別的であるかどうかの議論も夫婦間で済ませればよいのです。
このように、基本的には『問題に関係している同士で解決をする』と考えた時に、今回の炎上は『DaiGoが影響力のある存在だった = 関係者が多すぎた』ことが原因であり論点だと思いました。
ただやっぱりここで疑問が湧きます。冒頭に説明した自分の価値観である『嫌なら見なければいい』がなぜ通用しないのか。
「こいつの発言は気に食わないから見ない」で良いと思っています。
例えば今回のDaiGoの発言が、中学生の道徳の授業で出てきたら大問題です。義務教育課程で日本国憲法に則らない思想を伝えることは私も間違っていると思います。
ただ今回はYoutube(だったのかな?)という見たい人だけが見るプラットフォーム上で行われたのに、なぜここまで総叩きになっているのかよく分かりません。
テレビの方が悪い気がする
『嫌なら見なければいい』の反論を想像してみます。
おそらく「それができない人もいる」だとか「たくさんの視聴者がいる中で悪い思想を植え付ける行為」だとか、そんな感じだと思います。
『たくさんの視聴者がいる中で悪い思想を植え付ける行為』がダメなのであれば、テレビって情報メディアとして不完全だと思うんですよね。
例えばこちらのニュース。
キャスターの発言の書き起こしは以下になります。
(村雨アナウンサー)「国際医療福祉大学が7月、東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県の20代から60代の男女約3000人を対象に行ったアンケートです。 自分が日常生活で新型コロナウイルスに感染すると思うか、という問いに対して、思わない・あまり思わないと答えた人は30代の男性41%・女性45%ですが、40代では、男性52%・女性48%とほぼ半数に増加。 さらに50代となると男性55%・女性60%とさらに増加します。 このように数字の上では40代・50代が若い世代より危機感が薄いという結果に。
このニュースで『このように数字の上では40代・50代が若い世代より危機感が薄いという結果に。』という部分からチャンネルを付けたら、『東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県で行われた』という調査対象の部分を聞くことができません。
首都圏と、地方では人口構成比が異なるため、40代・50代の割合が多い都道府県の住民からすると「え!?そうなの!?」と勘違いしかねません。
何が言いたいかというと、どんなメディアも不完全であるため、人は正しい情報の取捨選択をし続ければならないということです。
炎上=悪い情報だということの見せしめ
『情報は取捨選択しなければならない』という整理をしてみたのですが、これにも『取捨選択できない人もいる』という反論がありそうです。
そう考えてみると、今回の炎上は『取捨選択できない人たちに、これは悪いことなんだと見せしめる意味がある』のかなと納得してきました。
『この人は悪い思想を説いた!同じ思想を持っている人はこうなるぞ!』とみんなでDaiGoを吊るし上げることによって、取捨選択できない人に、その思想を持つことは悪いことなんだと伝播させているのかなーと。
そう考えたら炎上させている人の気持ちが少しずつ分かってきました。
炎上ではない解決策
天動説迫害との違い
間違った考えを持っている人を徹底的に避難するということが、天動説を説いた人たちの迫害と似てるなーーと思ったんですが、少しだけ異なっている部分がありました。
それは観測できることか、そうでないかです。
地動説・天動説の争いは、結局のところ「どっちが本当なのか」という事実を確認すれば収束する話です。当時は宇宙にいく技術がなかったので、それを計算上でしか証明する方法がありませんでした。
そのために『宗教(思想)上の理由』で迫害をされ続けていました。
でも今回の優生思想や差別的発言って、本質的には正解がないと思うんですよね。
今の日本は少なくとも生活保護などの制度があるため、相対的には豊かな状態だと思います。
でももし世界の人口が200億人になって、更には食糧危機に直面した場合、優生思想に切り替わる気がするんですよね。
ただ今は日本・世界が豊かだから優生思想はよくないとなっているだけで、優生思想は今の時代に合っていないという理解が正しい気がします。
とはいえ、今の『炎上』というやり方は、やっぱり天動説迫害と同じだなと思いました。
考えてみたもののこの微妙な違いは論点ではなさそうでした。
今後に期待しよや
先述の通り、もし今の時代でも地動説と天動説の争いが続いているなら、解決策は非常に簡単です。
「よっしゃ宇宙行って確認しよや!」です。きっと宇宙に行って確認をすれば過去のような迫害は起こらなかったはずです。
一方で今回の炎上による問題発言の吊し上げは、過去の悪習を繰り返しているように感じます。
再謝罪したにも関わらず『DaiGoのSNSアカウント停止を求めます!』という活動があるなど、DaiGoのことを社会的に抹殺する勢いです。
影響力のある人が、一度間違った発言をしただけで社会的に抹殺される必要はあるのでしょうか?
五輪組織委員会の元会長である森さんは辞任をしましたが、個人的にこの辞任にも納得いってません。
『辞任して、責任を取る』という文化がありますが、辞任したら問題は収束するのでしょうか。
今回の件に置き換えると、今後DaiGoの活動の幅をSNSの凍結によって制限することで解決するのでしょうか?
活動を制限するという仕打ちによって『影響力がある人の影響力をなくす』というのは、その人が今まで行ってきた活動や価値を全て否定するような気がします。
DaiGoは実際に価値のある有用なコンテンツを提供し、その価値がみんなに認められているからこそチャンネル登録者が伸び続けていたんだと思います。
ちょっとだけ話を戻すと、森さんの辞任は本当に意味が分からなくて『責任を取って辞任する』って、余計無責任じゃないですか。本当に誠意を見せたいなら、自分自身で挽回すべきで、自分を反面教師にしてより良い組織を作ることが責任なのでは?と思ってしまいます。
DaiGoはDaiGoなりに謝罪をしたので、今後の彼の責任は、彼の影響力を活用して『なぜ優生思想が正しくないのか』『ホームレスや生活保護受給者の実態』を多くの人に伝えていくことだと思います。
謝罪ってなに?
誰のための謝罪?
最後に気になったのがDaiGoの再謝罪。
1回目の謝罪で誠意を受け取ってもらえなかったのか、それともDaiGo本人的にも誠意を表せなかったのか、スーツ姿でばっちり決めて再謝罪をしました。
それに対して「まだ許さない!」とか「社会人なら腰を90度曲げろ!」とか、色々と批判が飛び交ってます。
で、そこでも色々思いました。この謝罪って誰のため?
例えば誰かを傷つけてしまった場合、謝罪をしますよね。ごめんなさいと。
これは加害者と被害者の関係があるから謝罪が成り立ちます。
では今回の件について、加害者はDaiGoだとして被害者って誰ですか?
金銭的な被害を受けたのはDaiGoのスポンサー企業で、精神的な被害を受けたのは生活保護受給者やホームレスだと思うのですが、なんで関係ない第三者が人の謝罪に対してとやかく言うんですか?
とかとか色々考えていたら、今回のDaiGoの発言はホームレスや生活保護受給者を支援している団体の活動自体を否定する行為でもあることに気づき、やっとここで支援団体がキレている理由が納得できました。流石にキレすぎですけど。
謝罪ってなに?
「影響力がある人が中途半端な謝罪をすると、『これでいいんだ』思われてしまうという悪影響がある」という反論もありそうですが、そもそも謝罪って何故するんですか?
Wikipediaによると
謝罪(しゃざい、英語: Apology)とは自らの非を認め、相手に許しを請う行為である。
ついでに『謝罪に伴う行為』という項目では
日本においては一般に、口頭であるいは文書で謝罪の言葉を述べる、頭を下げるなどの行為がとられることが多い。団体であればトップが謝罪する。個人的に謝罪する、証人をつれて謝罪する、謝罪内容を文書化する、謝罪を公表する、テレビで謝罪するなど種々の方法がある。また、金銭や物品によって謝罪の意を示し、解決を図ることもある。しかしこれらの行為のみでは根本的な問題の解決には至らず、相手の悪感情を軽減するに留まる。場合によっては、自らの頭を丸刈りにしたり、謹慎したり、極端な場合、職を辞することもある。
結局、言葉を述べるだけでは根本的な解決にはならないので、やっぱり今後のDaiGoの活動に期待したほうが良いと思うわけです。
ただ悪感情を軽減するというポイントは確かに大事なあああとも。
まとめ『やっと理解できました』
ものすごく支離滅裂な文章で書き続けていますがやっと理解できました。
やっぱ『書く』って頭の整理になりますね。
自分なりに3つのポイントでまとめてみました。
- 炎上は『悪い思想』の持ち主を見せしめにして、正しい思想に導く方法の1つ。
- でもその正しい思想に導くやり方が古い。天動説迫害と同じ。DaiGoの未来に期待しようや。
- 支援団体がキレた理由は『活動の否定』をされたからだが、別に『謝罪の意を述べる』以外にも謝罪の方法はあると思いました。
いやーまじスッキリ。とりあえず新しい価値観を得られた今後のDaiGoの活動に期待ですね!